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ボクはパリ症候群だった 【連載第八回】

October 12, 2011

芸術の都の住人という誇りが仇となることも


 Bonjour! 皆さん、ご機嫌いかがですか。いまボクはペリエを飲みながらこの記事を書いています。ユーロ安のお陰でペリエが安い! お勧めです。
 さて遠藤周作の短編「肉親再会」に、見事なまでに典型的なパリ症候群に罹った女性が出ています。主人公である兄には「コンコルド広場が見渡せる素敵なアパルトマンに住んでいる」と手紙を寄越していたのですが、実際は見るも無惨な極貧生活を送りつつ、それでも芸術家を志していたのです。肉親に嘘をついてまでパリに居座り続ける妹。悲惨の一言です。そんな昔からパリ症候群はあったのだとついつい感心してしまいます。
 多くの芸術家が憧れた魅惑のパリ。パリ症候群には、いままで言及したように、その理想と実態の格差に原因の一つがあると考えられます。そしてボクは他の原因の一つに、「芸術空間としてのパリ」に染まると、そこから抜け出すのがむしろ苦痛である、という説を考えています。

 例えばある蒼天の日曜日、片雲の風に誘われて「どこかでピアノリサイタルでも聴きたいなあ」とふと思い立ったとします。日本では、たとえ東京でさえも、そんな突飛な思いつきが適うことは滅多にありません。しかし、パリにいれば『パリ・スコープ』(パリのイベントガイド雑誌)をキヨスクで購入し、気の向くまま"Entrée libre"(無料)の会場に徒歩かメトロで向かい、適当に椅子に座っていれば、世界トップレベルの演奏だって聴くことは不可能ではありません。ボクもそのように無料のコンサートに何度も足を運んでいました。
 いま日本に戻っていて「あ、美術館に行こうかな」と思っても、時間と値段を考えるとうんざりしてしまい、自分の部屋で映画でも観てしまいます。ボクは美術を学んでいたのですが、フランスでは美術を研究する大学院生は、例えばルーヴル、オルセーといった美術館は無料で入館できます。「サモトラケのニケ」でもまた見に行こうかな、と思い立てば、フラヌール(遊歩人)よろしく、詩人ボードレールが絶賛したパリの街並みを散策しながら、街に溢れる詩情と音楽を楽しみつつ、リヴォリ通り、あるいはチュイルリー公園を通って世界美術の宝庫ルーヴルへと向かえるのです(ちなみに地下入口から入館すれば並ばないで済みますよ!)。

 美術好きにはこれ以上ない悦楽ではないですか?
 そんな場所を、芸術を愛するものの手から奪う権利なんてあるのか? そう思っていた時期がボクにもありました。だからどんなに不便で不潔で問題が山積しているパリ生活に鬱屈としていたとしても、それをカヴァーするほどの愉悦があれば、苦しみにだって耐えられる......そう固く信じていたのです。間違いでしたけど。結果として病んじゃいましたけど。
 また、そんな芸術の都に住んでいるという誇りも、やはり自分の手で消し去りたくはないものです。「えっ! パリに住んでるの!?」なんて言葉を掛けられたりしたら、人というのはまんざらでもない気分になるものです。人間だもの。そういう無意味なプライドが、パリ症候群をさらに深いものへと追い込んでいる、そんな気がします。
 それにしてもペリエ、美味しいですね。フランスかぶれで済みません。


執筆者/湖之鳥タクマ
ライター・トランスレイター。執筆の傍ら、フランス語・英語講師。三年ほど文学・美術を研究の為、パリ大学に在籍。パリ症候群を発症し、失意のうちに帰国。二度とフランスには帰りたくない!

写真/天野裕子