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ボクはパリ症候群だった 【連載第二回】
June 10, 2011

ドアの向こうにある不条理
麗しのパリ。1区を中心に、現代的な趣を交えながら優雅な建築が軒を連ねています。その佇まいは、ヌーヴェル・バーグ時代の映画の風景と比べてもほぼ変化がありません。まるで久遠の時が流れているよう。そんな目抜き通りを歩くだけで、気分はもうパリジャン・パリジェンヌ。
さて、そんな素敵な街中で遊歩を楽しんでいて、突然便意をもよおす。ピンチです。お手洗いに行こうとしても、実はパリには滅多にトイレがない。これは深刻な問題です。ものすごく不衛生でドアの締まりが悪い、故障しがちな公衆便所は転々と申し訳程度にありますが、男ならともかく、日本人女性がそんなところで用を足せるわけがない。となるとどうすべきか? パリ市内では主にカフェでトイレを借りることになります。しかし、借りるだけ借りておいて「ほんじゃさいならアデュー」というのも気が引けるのでカフェの一杯くらいは頼みたいよね、と物の本に書いてありました。
どうしてお手洗いに行くのにコーヒーを飲まなくてはならないのか? まあそれは百歩譲ってよしとしましょう。しかし、問題はそこにあるのではない。本当の深刻な闇、それは実際にトイレに赴き、便器に向かった時に分かります。トイレに駆け込み、ドアを開いたとたん、まるで異次元空間に迷い込んだかのような錯覚にとらわれます。何かがおかしい。そう、何かがおかしいのです。それは......洋式便器に便座がついていない。なぜ? なぜ便座がない? ボク自身、何度もその不条理な状況に出くわす度に自問自答し、苦悩しました。そこでボクの調査で得た解答の一つなのですが、どうも誰かが持って帰るらしい。どうして便座を盗まないといけないの? と思ったあなた、立派なパリ症候群予備軍です。フランスでは便座は盗むものと相場が決まっているのです。恐ろしいですね。
でも用を足した後、一杯のエスプレッソを口にしつつ外を見遣り「やっぱりサンジェルマン・デ・プレの街並みは趣があるなあ」と自分を慰めていると、パリを離れられなくなる。そしてそのまま手遅れとなる......それがパリ・アディクションなのです。
執筆者/湖之鳥タクマ
ライター・トランスレイター。執筆の傍ら、フランス語・英語講師。三年ほど文学・美術を研究の為、パリ大学に在籍。パリ症候群を発症し、失意のうちに帰国。二度とフランスには帰りたくない!
写真/天野裕子