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ボクはパリ症候群だった 【連載第三回】
June 21, 2011

パリの救世主に「スマイル」なし
パリに行ってまず何にびっくりするかというと、そのパンの美味しさです。パンにバターとハムを挟むだけで、こんなに美味いのか。「ジャンボン・ド・パリ」を初めて食べたときの衝撃は今でも忘れられません。かりっと香ばしく、それでいて小麦自体の味わいが口に広がり、鼻腔をくすぐります。軽い甘みと塩味で引き締まったバターとハムのハーモニーが絶妙です。日本で食べているフランスパンとはまさに雲泥の差です。
しかしどんなに美味しくとも、いくら何でもいつもいつもフランスパンのサンドウィッチを食べる訳にはいきません。飽きます。3年も暮らすと「パン食」の方以外はうんざりしてしまうはずです。そして気がつくと、驚くほど、リーズナブルな外食の選択肢が少ないことに気づきます。日本にはコンビニがあって好きなものが選んで食べられますが、パリにはコンビニがありません。あるのはパン屋、ケバブ屋、クレープ屋。この三つをローテーションで訪れなくてはならない不条理な拷問は、真綿で首を絞めるという表現がぴったりです。
そこで天の救世主が現れます。メシヤです!(なんちゃって)。それはMのロゴでお馴染みの某ハンバーガーチェーン店。なんと1ユーロ(当時のレートで150円強)そこそこでハンバーガーが食べられるのです! 安い! で、お店に赴くのですが、たいてい行列が出来ています。並んでいるのはフランス人です。「そうか、パリでもハンバーガーはすごい人気なんだな」と思ったあなた、惜しい! どうして行列が出来ているのか? それは、人気があるからだけではありません。店員が「牛歩戦術」で仕事をしているからです。シフトの変わり目で入ってきた女の子がにこやかに「ボンジュール!」を店員と交わし、ビズ(頬のキス)を交わし、愉快げに世間話を交わします。その様子を窺っていると「おい仕事しろよ」と思わずこちらから「スマイル」がこぼれてしまいます(パリのお店ではスマイルは売っていません)。
一方、行列のパリジャン達に目を遣ると、彼らは黙って下を向いて何も見ていません。入り口を見遣るとガラスのドアはひび割れ、店の隅の方では目つきの悪い素行不良な感じのお兄さんお姉さん達がたむろしています。善良なパリジャン達も、パリの暗部は見て見ぬふりをすることを子供の頃から学んでいるのでしょう。不条理に出くわしても見て見ぬふりをする、実はこれがパリ症候群への一番の特効薬なのですよ! ボクには無理でしたけどね、フフフ。
執筆者/湖之鳥タクマ
ライター・トランスレイター。執筆の傍ら、フランス語・英語講師。三年ほど文学・美術を研究の為、パリ大学に在籍。パリ症候群を発症し、失意のうちに帰国。二度とフランスには帰りたくない!
写真/天野裕子
ボクはパリ症候群だった 【連載第二回】
June 10, 2011

ドアの向こうにある不条理
麗しのパリ。1区を中心に、現代的な趣を交えながら優雅な建築が軒を連ねています。その佇まいは、ヌーヴェル・バーグ時代の映画の風景と比べてもほぼ変化がありません。まるで久遠の時が流れているよう。そんな目抜き通りを歩くだけで、気分はもうパリジャン・パリジェンヌ。
さて、そんな素敵な街中で遊歩を楽しんでいて、突然便意をもよおす。ピンチです。お手洗いに行こうとしても、実はパリには滅多にトイレがない。これは深刻な問題です。ものすごく不衛生でドアの締まりが悪い、故障しがちな公衆便所は転々と申し訳程度にありますが、男ならともかく、日本人女性がそんなところで用を足せるわけがない。となるとどうすべきか? パリ市内では主にカフェでトイレを借りることになります。しかし、借りるだけ借りておいて「ほんじゃさいならアデュー」というのも気が引けるのでカフェの一杯くらいは頼みたいよね、と物の本に書いてありました。
どうしてお手洗いに行くのにコーヒーを飲まなくてはならないのか? まあそれは百歩譲ってよしとしましょう。しかし、問題はそこにあるのではない。本当の深刻な闇、それは実際にトイレに赴き、便器に向かった時に分かります。トイレに駆け込み、ドアを開いたとたん、まるで異次元空間に迷い込んだかのような錯覚にとらわれます。何かがおかしい。そう、何かがおかしいのです。それは......洋式便器に便座がついていない。なぜ? なぜ便座がない? ボク自身、何度もその不条理な状況に出くわす度に自問自答し、苦悩しました。そこでボクの調査で得た解答の一つなのですが、どうも誰かが持って帰るらしい。どうして便座を盗まないといけないの? と思ったあなた、立派なパリ症候群予備軍です。フランスでは便座は盗むものと相場が決まっているのです。恐ろしいですね。
でも用を足した後、一杯のエスプレッソを口にしつつ外を見遣り「やっぱりサンジェルマン・デ・プレの街並みは趣があるなあ」と自分を慰めていると、パリを離れられなくなる。そしてそのまま手遅れとなる......それがパリ・アディクションなのです。
執筆者/湖之鳥タクマ
ライター・トランスレイター。執筆の傍ら、フランス語・英語講師。三年ほど文学・美術を研究の為、パリ大学に在籍。パリ症候群を発症し、失意のうちに帰国。二度とフランスには帰りたくない!
写真/天野裕子